鴻池大臣の打ち首発言への反応をコレクト。彼の発言要旨は「犯罪者の親を打ち首に」 青少年犯罪で鴻池防災担当相@Sankei Webにあります。まず、まとめ系ページを。

 で、コレクトした反応は以下。

鴻池氏発言 厳罰化で解決するのか沖縄タイムス
 少年法は一九九七年に起きた神戸市の児童殺傷事件を契機に、刑事対象年齢が「十六歳以上」から「十四歳以上」に改正された。だが、厳罰化は必ずしも抑止効果になっておらず、少年犯罪は低年齢化、凶悪化している。
 遺族の心情を思うと言葉もないが、厳罰化では抜本的な解決にならないことを今回の事件はむしろ教えているのではないか。
 少年犯罪は家庭や学校だけではなく、社会全体が対応すべき問題である。防止するには事件の事実解明が重要であると同時に、その情報を開示し、社会で共有することが今後の対応策につながる。
 可能な限りの情報公開をすることと、それに基づき少年たちの深層を私たちが考えることから防止策は始まる。

鴻池発言/稚拙、あまりにも稚拙…神戸新聞
 長崎の事件は、日本全体に深い衝撃を与えた。それぞれの家族が、教育関係者が、子育ての過程で何が欠落していたのか、真剣に考えていることだろう。再発防止のために、弱体化した地域社会をどう再生させるか、が話し合われている時である。鴻池発言は論外で、なんの解決策にもならないことは、自明の理ではないか。
(中略)
 罰則の強化だけでは犯罪の抑止力にならないことには、多くの指摘がある。鴻池氏はそのことをどう考えているのか。

「親を打ち首」・無知すぎて悲しい発言だ琉球新報
 記者会見という国民に向けた場で、信じられぬ言葉だ。北谷町の事件にも、長崎市のそれにも、われわれは大きなショックを受けた。そして、こうした犯罪が起きる要因がどこにあり、どうすれば再発を防ぐことができるのか、真剣に悩み、考えている。年ごろの子を持つ親ばかりではない。学校も、地域も共に悩んでいる。二度と同じ悲しみを味わいたくないからだ。
(中略)
 「他人の子」に限った問題と切り離して考えてはいない。そして加害者、あるいはその家族だけに問題があると、言い切る者もいない。
 「社会全体が病んでいるのでは」「われわれ大人がやるべきことを放棄したのでは」―。一人ひとりが、自らの問題と受け止めることでしか、少年らの世界に巣くった病巣を取り除くことはできない、ということも感じている。それだけ問題が根深いことを知っている。

7月12日付・一日一言四国新聞
 実は鴻池さんは昭和十五年生まれだから、彼の言う“堕落した戦後教育”を受けた最初の日本人だ。報道を懲罰のためのさらし台に見立てるその軽薄さが戦後教育の末路なら確かに反省が必要だ。
(中略)
 鴻池さんは名前通り大阪の豪商・鴻池善右衛門の末裔のせいか大時代なセリフがお好きだが、その割には歴史を知らない。忠君愛国の戦前にどれほど腐敗がはびこったか。世の乱れ、災いはいつも政治の堕落が招き寄せた。自省せよ。

天地人東奥日報
 被害者家族の悲しみや怒りを、慰め癒すために、何もできないいらだち。加害少年を厳罰に処せない、いらだち。鴻池発言はこうした国民の気分に寄り添うものだったろう。インターネットには少年の名前を書き込む者も出始めている。また、写真を公表する雑誌も出てきそうだ。
 しかし、私たちは−権力の中枢にいる者から庶民に至るまで−いつからこうも抑制を失い、無神経な言葉を吐くようになってしまったのか。権力者や大人の、こうした変容と、少年たちがキレたり、性衝動が抑えられずに犯罪に走る、そのような心の荒廃とは無関係だろうか。

■鴻池発言――たがが外れている@@asahi.com社説七月十二日付け
 事件は誰にとってもやりきれない。
 幼稚園児をビルから突き落とすというむごい行為に刑事罰が問えないのなら、親や学校の責任を問いたいという気持ちを持つ人もいるだろう。他方で、「うちの子は大丈夫だろうか」と不安を抱き、子どもの教育に考え込む人も少なくないはずだ。
 テレビの時代劇ではあるまいし、「引き回しのうえ打ち首」で「一件落着」というわけにはいかない問題だからこそ、世の親たちは悩み、立ちすくんでいるのだ。
 鴻池氏の発言は、そんな現実に思いを寄せることなく、親に社会的制裁を加えればこんな事件は起こらないのだという、まことに短絡的なものである。
 刑事犯で検挙される少年少女は増えている。刑事罰を問えない14歳未満の事件にどう対処するかという問題も深刻だ。刑事罰の強化だけで立ち向かえるわけではない。家庭や学校、地域の取り組みをどう強めていったらいいのか。

鴻池担当相「打ち首」発言 政府、沈静化へ躍起東京新聞
 鴻池担当相は少年犯罪抑止に向け、大切な点について「親の責任」を指摘。「信賞必罰、勧善懲悪の思想が戦後教育の中に欠落している。日本中の親が自覚するよう(加害者の親を)引きずり出すべきだ」と述べ、「打ち首発言」につながった。政府の取り組みにいきなり冷水を浴びせかける格好になった。
 事件に対し、誰もが怒りを覚えるのは当然だが、その矛先を家族に直接的に向けるのは、あまりにも配慮を欠いた発言といえる。仮に「親の責任論」を強調したかったのなら、別の言い方があったはずだ。

7月12日付・編集手帳@Yomiuri On-line
◆子供が犯罪者に変貌(へんぼう)する前兆を、真っ先に見つけられるのは親である。今回の事件を含め、親がわが子への目配りを怠りつつある現状に一石を投じたつもりかも知れない◆「打ち首」発言が指さしたのは抽象的な親一般ではなく、特定された事件の特定された親である。社会的にリンチを加えよ、と唱えたにも等しい一石は、やはり大暴投だろう◆鴻池氏は青少年育成の担当閣僚でもある。血の通った生身の人間である以上、犯罪への怒りに感情をたぎらせる時もあろう。閣僚ならば、たぎった感情を政策づくりの燃料にし、無駄に爆発させてはなるまい。

「魔女狩りのようなもの」 鴻池発言に批判、反発 @共同通信
 少年の非行事実の通告を受けた長崎県中央児童相談所の川原ゆかり所長(56)は「魔女狩りのようなもので、体が震える。見せしめによる制裁からは恐怖以外の何も生まれない。社会の一人一人が自分の問題として何ができるか考えるべきだ」と激しく反論した。
 長崎県弁護士会吉田良尚会長は「いろんなことを考えた上での発言なのか疑問だ。一般の人が言うならともかく…」と絶句。同弁護士会「子どもの権利委員会」委員長の中村尚達弁護士も「言語道断だ。政府の中枢にいる人間がこういう発言をすることで、国民感情の悪い面だけがいたずらに増幅される。今回の問題の本質は現代社会のひずみだ。それを国民が考え直すことが重要なのに、懸け離れるだけだ」と指摘した。
 男児が通っていた幼稚園の職員は「少年の家族も含めてみんな不幸な事件なのに。少年の関係者には責任はかぶせられないと思う。信じられない発言だ」と話した。
少年が通っていた中学校の関係者は「被害者の気持ちを考えれば、理解できるが、あまりに感情論だ」と複雑な反応。少年の自宅近くの住民は「とんでもない。世の中を知らない行きすぎた発言で、地元の気持ちを考えてほしい」と憤った。

とりあえず、ここではコレクトのみにしておこう。