性をめぐる冒険 −夜這い、ホカホカ、ダイアモンド−

Gleam/Diaryより。
 夜這いに関する記述がおもしろい。

 昔の日本の、特に農村には、鍵を掛けけるという習慣がなかったらしい。そもそも見知らぬ人がいないに等しいわけだから、掛ける必要がない、といえば、まあそうだ。そこで、昼間の内に目をつけた娘の家に、こそこそと忍び込んで、性交するということが可能になる。男にとっては、なかなかすばらしい伝統であると思えてくる。忍び込みさえすれば、女の子は「はいどうぞ」と股を開いてくれる…。

(中略)

 ところが、世の中そんなに甘くないと言うべきか、いろいろ苦労があったことが忍ばれる。鍵を掛けないということからもわかるように、その当時、プライバシーという概念はなかった。夜は、おばあちゃんから生まれる前の赤ん坊まで、一家そろって雑魚寝をしていたらしい。
 「みんな雑魚寝しているところですから、四十八手なんてとてもやってられない。とてもシンプルなことしかできないんです。声も出せない、よがれない、まわりに気取られないようにやらなければならない。ほとんど乗って三分あがいて三秒の世界なんです(文献1)」
 江戸時代以前の日本人はかなり性に対しておおっぴらで、明け透けだった。何にも考えていないのではないかと思うほど、簡単に性交へといたってしまう。江戸時代「恋」といえば、性交を含んでいたという。だから春画も、ポルノと恋とが区別されていない時代の、あれは「恋」を描いたものなのである。文献1の対談の中で、田中優子春画に描かれた性器に、非常に豊かな表情があることを指摘しているが、実際、江戸時代の恋には、性器的な喜びが含まれていたのだろう。

近代化以前の日本の性風俗が、かなりおおらかだったのは良く知られていますが、こんな苦労もあったんですね。しかし、この方法はちょっと無理があるだろ。
 また、江戸の性風俗を扱ったページにはこんなのも。

○ 薩摩は、江戸時代以来衆道(しゅどう:少年愛)のメッカだった。明治維新によってその風潮が東京に伝わると、それまで女色に圧倒されてすっかり勢いが衰えていた男色が東京でも息を吹き返し、さらに日清日露戦役で好戦的気分が広まるに伴って、一大流行の観を呈した。特に、明治20、30年代の男色の流行はすさまじかった。

○ 性愛の営みは、人間相互(同性であれ異性であれ)の深い親しみや信頼関係と不可分のものだった。茶の間でもさりげなく猥談が飛び交い、老いも若きも哄笑した。一人で悩む性より共に笑う性。人と人の絆は肌を許しあう親密な接触から。
『江戸の性風俗』

性に対する姿勢が全く違いますね。もう一つ、明治初期の男色に関連して、ここ谷崎潤一郎がさらわれそうになったという話が。
 こちらの▼江戸吉原サイドメニュー@OUT of TILOLUでは、売春の歴史が古代からまとめられています。おもしろい。江戸の街は男ばかりで、性欲が溜まっていたと。
 話は変わって、平塚も昔から性産業(っていうのか?)で栄えた街で、今も変わらずそれ系の店は非常に多い。駅前一帯そればかり。もう少しゾーンニングしていただきたい。