人肉食の基礎知識@大東文化大学中国文学研究部

 中国の食人について。
 食人が物語に描かれることも少なくないらしい。ここには、「水滸伝」の例も載っていますが、「三国志劉備の例を引用。

 「三国志」中の食人
 劉安が劉備をもてなす際、自分の妻を屠ってこれに充てたという話。劉備はこれに感激し、恩返しにその息子・劉封を養子とした。

 いくら人をもてなすためだからといって、妻を殺してその肉を食わせる人物が信用されていいものなのか。また劉封についても、自分の母を食べた男の養子となることになんらわだかまりはないのか。この場面は、かの吉川英次も削るかどうか悩んだわけだが、中国では別段問題なく、娯楽読み物の中に組み込まれている。

おお! 劉備って人肉食べてたんですか! 驚きます。
 こちらは、人肉食に抵抗が少ない理由の考察。

 何でまた中国では平気で人肉を食べるのか。簡潔に答えよ、というのならcの余儀なき食人にそれを見ることができる。

 中国は、あれだけ広大な土地となるとどこかしらで災害があり、全土に何事もなく過ぎた年など皆無である。そのたびに朝廷は対応策を練り、さらには均輸・平準法だの義倉だのと安定政策を幾つも考え出して来たわけだが、輸送中山賊にあったり、小役人が中身を横流ししたりと、これらがまともに機能するとは限らなかったりする。だからひどい飢饉ともなれば、それこそ雑草だろうと昆虫だろうと食えるものは食い、食い物でなくても革を煮込み紙を溶かし、しまいには互いに食べあうより生き残れなかったのである

さらにこんなことも。

 これは本学某先生が雑談のおりにおっしゃっていたことだが、「もとより、中国に人の肉を食べてはいけないという概念はないのだろう。死ぬということは肉体の所有権を放棄するということだから、食う方にしてみれば、道に落ちているものを拾うの同じことなんじゃなかろうか。人から物を奪ったら犯罪だが、だれも所有者がいないのなら俺の好きにして何が悪い、て事じゃないのか」とのことである。なるほど、所有物という概念は思いつかなかった。

 さらに神田孝平は、その説の中で「平生恣に之を食わざるは他なし人を殺すの法禁あるに因るのみ」と言っているが、つまり人殺しは犯罪なので普段は食べないが、法に触れないのならいくらでも食う、とこう言っている。

って、ここまで人肉食が普通とか言われると、にわかに信じがたい。実際どうなんだろう。